両親と私

宅へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった

ブログのサンプル文章として版権切れの小説を表示しています。「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」

父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽の後ろへ、日除のために括り付けた薄汚ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻って行った。

学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。

「卒業ができてまあ結構だ」

父はこの言葉を何遍も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭いところに不快を感じ出した。

「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」

私はついにこんな口の利きようをした。すると父が変な顔をした。

「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解っていてくれさえすれば、……」

私は父からその後を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。

最新記事

先生と私

  • 夏目漱石

私はその人を常に先生と呼んでいたブログのサンプル文章として版権切れの小説を表示しています。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というより...

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です

  • 宮沢賢治

五月二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。『クラムボンはわらったよ。』『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』『クラムボンは跳ねてわらったよ。』『クラムボンはかぷかぷわ...

八月の半ばごろになって、私はある朋友から手紙を受け取った

  • その他

その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。ブログのサンプル文章として版権切れの小説を表示しています。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であっ...

九月始めになって、私はいよいよまた東京へ出ようとした

  • 夏目漱石

ブログのサンプル文章として版権切れの小説を表示しています。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位...

私のために赤い飯を炊いて客をするという相談が父と母の間に起った

  • 夏目漱石

ブログのサンプル文章として版権切れの小説を表示しています。私は帰った当日から、あるいはこんな事になるだろうと思って、心のうちで暗にそれを恐れていた。私はすぐ断わった。「あんまり...

いつの頃であつたか

  • 森鴎外

多分江戸で白河樂翁侯が政柄を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。それは名を喜助と云つて...